2006年01月17日

震災11年

1.17kobe.jpg
今日は、忘れることができない日。
阪神・淡路大震災から11年。

11年前の1月17日。
私は受験生であった。
前々日に終わったセンター試験の結果が悪く、
前期日程の志望校をどうしようか迷っていた頃だった。
1月16日は、確か受験のことばかりを考えてベットに潜り込んだと思う。

1月17日AM5:46 

私の実家は、六甲山の裏側になるので比較的山が近く、
本震の前に山が鳴ったのを記憶している。
(この山鳴りと地震の際に発生する稲光は、17日以降の余震の度に聞く不思議な体験でした。)
揺れている時は、ほんと夢かと思った。
家の屋根が落ちるのではないかとも思った。
頭の上からは、ラジカセは落ちてくるわ、タンスの上の衣装ケースは
落ちてくるわでパニックでした。

しかし、1分ほど揺れて落ち着き、
親の寝室へ行こうと思い、ベットを降りた瞬間、
第1回目の余震。
立っては居られなかった。
しかも、なぜか血の味がする。
そう、ラジカセが自分の鼻に当たったため、鼻血を出していたのだ。
揺れている瞬間は、揺れのことで頭が一杯になっていたため
気づいていなかったのだ。

電気も水もガスも無い状態で
ラジオだけの情報が頼りだった。
電話も地震発生後1時間は、自分から県外にかけるのは
かかったが、その後は不通に。

ラジオで震源が神戸と発表され、
ほんとビックリした。
自分の住む町でこんな事になるなんて予想もしていなかった。
「大変なことになってしまった。」といろんなことを考えた。
神戸の街は?これからの生活は?友達は?そして自分の将来(受験)は?

地震後、しばらくは両親が職場へ行かなければならなかったため、
受験勉強も出来ず、道路のアスファルトの割れ目から吹き出す水道水で水を汲んだり、
自衛隊の給水車からの給水に並んだりとバタバタしていた。
ちなみに当時は、水汲みようのポリタンクなどは、どこの家も備えていなかったため
震災当日にはポリタンク目当てに長蛇の列ができ、整理券まで配られました。
値段も震災当日500円だったのが、翌日には1000円、
その翌日には1500円と値上がりしていきました。


あれから11年、
神戸の街は、綺麗になったと思う。
しかし、私は震災後すぐに徳島へ渡ったため
私の中での神戸は、昔のイメージがずっと残っている。
特に高校があった付近は、被害の大きかった長田区にあったため、
今、訪れても分からなくなっているかもしれない。
仕方がないけど、少し寂しい。

11年の歳月で社会基盤等はもちろん、ずいぶんと復興したと思う。
しかし、復興できていないところがあるのも事実である。
そして、防災への関心が段々薄れてきている面もある気がする。

6434人もの命が無駄にならないことを祈りたい。


posted by Hideki at 00:00| ☔| Comment(0) | TrackBack(0) | Diary | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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